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あらすじ

 中学3年生の波多野尊は、成績優秀で、県内でも有名な公立高校を目指して勉強していた。しかし、彼は選択性緘黙(場面緘黙症)という状態にあり、注目が集まる中で話すことが困難であったため、2学期の音楽のテストでクラスの前で歌うことができず、内申書に「2」の評点がついてしまった。志望校を変更せざるを得なくなった尊は、やがて自ら命を絶ってしまう。

 彼を追いつめたのは、彼の疾患に対する学校の無理解か。それとも内申を重視する入試制度か。はたまた”学歴”を重んじる日本社会のしくみか…。そして、彼の自殺の責任は学校にあるのか。裁判を通して、多忙のなか生徒の個別事情に向き合う学校現場と、日本の教育システムについて問い直す。

​裁判の概要

 市立中学校の生徒の精神的損害と自殺について、原告ら(生徒の両親)が、被告(相和市)に対し、

①中学校の音楽教諭と校長が、生徒の選択性緘黙に対して適切に配慮せず、歌唱試験に参加させ、差別的な低評価をつけたことにより、生徒が精神的損害を被った

②自殺は、歌唱試験と不当な低評価、その後の音楽教諭や校長の不適切な対応によって生徒が追いつめられるなどした結果である

と主張して、国家賠償法1条1項に基づいて損害賠償請求をした事案。

裁判に至る経緯

令和元年(2019年)

10月

成績に大きな問題がなかった尊は、上位校として名高い県立松園高校を志望した。

11月

2学期末試験が行われた。音楽の試験では、大坂教諭が歌唱テストを実施した。

尊はクラスの前で歌うことができなかった。

その後に行われたペーパーテストでは、尊は満点をとった。

大坂教諭は、歌唱テストの結果を重く見て、尊に「2」の評点をつけた。

狸将校長は、音楽の「2」について大坂教諭に確認を取り、問題ないと判断した。

12月

「2」がついた成績表が尊に手渡された。

頼子は成績表を塾に持ち込んで南原講師に相談した。

南原講師は志望校の変更を提案したが、尊は松園高校にこだわった。

南原講師に評点について抗議するよう提案された頼子は、狸将校長と面会した。

校長は、頼子の評点の変更の要求を断った。

令和2年(2020年)

1月

尊は松園高校に願書を提出した。

南原講師は尊と再び面談し、志望校を変更するよう説得した。

2月

尊は県立梅宮高校に願書を提出し直した。

駒場県公立高校共通選抜試験が実施された。

尊が梅宮高校に合格したことが発表された。

3月

合格発表からまもなく、尊は首をつって自殺した。

尊の自殺の原因は学校の音楽のテストと成績評価にあると考えた両親は、中学校の設置管理者である相和市に損害賠償を求める裁判を起こした。

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